膀胱壁の中にいる!

「ここ……は……一体?」

気がつくと俺は狭い空間にいた。
街で購入した暗視魔法のかけられたゴーグルのおかげでなんとか周囲の様子は伺えるが、どうやらここ上部に2つの穴と下部に一箇所出入り口と思われる窪みがあった。
周りは真っ赤な、まるで生き物のように蠢く壁で構成されており何やら生暖かい。また、非常に強烈な臭いがする。これは尿の臭いが近いだろうか……
出口と思われる通路は先程挙げた3つの経路だが、上部にある2つの穴からは常に黄金色の液体が滝のように降り注いでおり、とてもそこから脱出することはできそうにない。
残る一つの経路……この空間の下部にある窪みだが、これは黄金の滝から流れ出た水の滝壺の底にあり、潜らないとこじ開けられそうにない……が。

「そうも言ってられないか……」

俺は意を決してこの謎の黄金水の湖の中を潜って窪みをこじ開けようとする。

(なにやらしょっぱいな、この水……それに生暖かい)

そんな事を考えながら、ぐっと窪みをこじ開けようとするが、窪みは俺が力を入れるとそれに対して反応するように更にきつく締まる。それはまるでこの空間が生きているかのようだった。

「チッ、上手くいかないか……」

俺は黄金の湖から顔を出して呟く。
思い悩んでいるうちに、上部の穴から流れ出る黄金水は水嵩を増していく。このままではこの水牢によって俺は溺れてしまうだろう。
内心焦っていると、俺にチャンスが訪れた。

「大丈夫ですか!? レオさんが宝箱を開けようとした途端、貴方は光りに包まれてどこかへと飛ばされてしまったのです!」

エスメラルダからテレパシーの通信が入ってきた。
レオこと俺とエスメラルダは2人でパーティを組んでダンジョンに入っているのだが、2人だけではいかんせん効率が悪く分断されたときのリスクも大きい。だから彼女はテレパシーの魔法を覚えて俺と通信できるようにしているのだ。
俺は盗賊として前衛で戦い、宝箱を開ける。まだ幼い少女である彼女は魔法使いとして後ろからサポートを行う。同じ孤児院で育ち、院のためにお金を稼ぐ俺達の戦法はそういった陣形が常道だったがどうやら宝箱を開けようとしたのが不味かったようだ。

「ああ、どうやらテレポーターの罠に引っかかっちまったようだ。だが、壁の中にいる! なんてことはなく、壁で圧殺されるなんてこともなさそうだ。だが……」

「だが、なんですか?」

「不味い事態なことに違いはない。俺が今いるところは真っ赤な肉壁に包まれていて上部の2つの穴から黄金色の滝が流れてくる生暖かい場所なんだ。それに、おしっこの臭いで非常に臭い」

「おしっこの……臭い、ですか?」

エスメラルダは疑問に思う。当然だ、ダンジョンのどこに尿の臭いのする場所がある。

「ああ、不思議な事だがな。それで、上部の穴からは黄金の水が常に流れているからそっちは諦めて他の出口を探そうとしたんだが……」

「また何かあったんですか」

「そのとおり。黄金の滝壺の底に窪みがあって、そこから出られるんじゃないかってこじ開けようとしたんだが、俺が力を入れるとそれに反応してキツく締まりやがった。まるで生きているようだぜ……」

俺はため息を吐く。

「それは不思議な場所ですね……わかりました。私の方でもよく探してみます。レオさんも脱出を頑張ってください」

「ああ、外は任せたぜ」

と、言ったものの俺に妙案など浮かばず滝壺の水嵩はどんどん増していく。もう少しでこの空間いっぱいに黄金水が溜まってしまいそうだ。
せめて足掻こうと俺は再び潜って窪みをこじ開けようとするが、やはり窪みは急に締まりだす。
それも、先程より締まる力が強い気がする。

「……ん!!」

エスメラルダからの念が伝わってくる。どうやら彼女は力んでいるのだろうか、おそらく外で何かを持ち上げようとしているのだろう。
それと同時に、俺のいるこの黄金水の湖が大きく揺れる。

「どうしたんだ、エスメラルダ。なにか見つけたのか?」

「い、いえ……ちょっと……その……」

「? まあいい。無理はするなよ、俺のいない間にお前に何かあったら大変だからな」

「はい……」

無理はするな、とは言ったものの事態は切迫している。
遂に俺の顔ひとつ分しか水のない空間はないのだ。しかも何やらさっきからえらく湖が揺れる。
その波により黄金水が俺の口の中に入っていき、塩辛い水が身体を満たしていく。

(うげえ、おしっこの臭いといい、生暖かい温度といい不快だぜ……)

「レ、レオさん。おしっこを……」

「なんだ、なにか困ったことがあったのか?」

「い、いえ!! なんでもないです。なんでも……」

困ったことと言えば俺の方も非常に困った事になった。
遂にこの空間は黄金の水で満たされてしまったのだ。
空気など吸う場所はなく、しかも先程から大嵐にあったかのように湖がかき乱される。
四方八方、上下の感覚も無視して撹拌される空間に俺の意識は遂に手放され……
最後に見たのは、俺が今まで挑戦しては失敗していた窪みが開き、そこを起点に渦が発生して俺を外部へと排出する光景だった。
そして、ジョボボボボ……という音を聞いたのを最後に俺の視界は暗転した。

「さん……レオさん!!」

「ん、ここは……一体。俺はどうしてしまったんだ」

気がつくと俺の耳にはエスメラルダの心配する声が聞こえる。

「俺は……無事なのか? ……いや、お前!」

俺の身体はずぶ濡れで、先程までいた空間と同じ臭い……おしっこの臭いが漂っている。だが、異常はなさそうだ。しかし、目の前の……いや、頭上のエスメラルダの顔は……

「お前、どうしてそんな巨大になってるんだ!」

そう、俺の頭上は巨大なエスメラルダの顔で埋め尽くされていた。

「違います! レオさん、貴方が小さくなっていたんです」

「は……そんな馬鹿な」

そう思って周囲を見渡すが、確かにそれは異常そのものだった。
地面は机の木目が地平の彼方まで広がっており、少し離れたところには巨大な白い陶器……おそらくマグカップであろうそれがあった。

「どうして、こんなことに……」

「それは……あの宝箱の罠のせいでしょう」

「宝箱……テレポーターか」

「はい、あれは普通のテレポーターではなかったのです」

「確かに、飛ばされた場所はえらく臭くて生暖かった……」

それを口にすると、エスメラルダの顔は赤く染まった。一体、どこで俺を見つけたのだろうか。

「そういえば俺はこんな身体になっちまったようだが、どうやって見つけたんだ?」

「そ、それは……その……」

エスメラルダはしどろもどろになり口ごもる。

(言えるわけないじゃないですか、私がおしっこをしたらそこからレオさんが見つかっただなんて……つまり、レオさんが今まで私の膀胱にいたなんて恥ずかしくて言えないですよ)

「まあ、いいか……」

「いいんですか!? そんな小さな身体じゃ生きるのも大変ですよ! いえ、そこは私がどうにかするからいいんですけど……」

「ああ、いや。エスメラルダって魔法使いだろ? なら、俺の身体を大きくする魔法も使えるようになるんじゃないかなって。それならいつかは元に戻れるさ」

「! ありがとうございます、レオさん! 私のことをそんなに信頼してくれていて……!!」

「まあ、長い間連れ添ってきた仲だしな。そのくらいは信頼してるよ」

数年後、レオは無事エスメラルダによって元の身体を取り戻した……などということは残念だがなかったようだ。
巨大化魔法は古の禁術として扱われており、習得には高難易度ダンジョンを潜る必要があったのだ。
しかし、一流の魔法使いとなったエスメラルダはそれも攻略に成功し、無事巨大化魔法の魔導書を見つけたのだが……

「なんで私に巨大化魔法……状態変化魔法の才能がないんですか!!」

彼女は攻撃魔法と治癒魔法、その他日常的な魔法には尋常でない才能があったが、状態変化魔法だけは一切使えないのだった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です